Tommyのマネープランニング

私=30代×1児の父×体育会育ち×マーケティング×FP

【今週のお題】わたしバスケ部でした!

今週のお題「わたし○○部でした」

こんにちは、Tommyです。

お久しぶりです!

今月に入り少々家族の事情で、ブログ作成の時間確保が難しくなり久しぶりの更新となりました!

来月末に妻が出産予定なのですが、残りの1ヵ月強は安静に・・・、ということになり、普段私があまりやらない家事分担が増えて、それを終えたころにはバタンキューしていた1週間でした。

年末までは、こんな感じの週末更新が続くかと思いますが、引き続きよろしくお願いいたします!

大学まで体育会

今週のお題シリーズ第6弾となりました。

私はゴリゴリのバスケ部です。

小学校1年生から大学まで体育会で活動していたので、ガチ系です。

その辺の「体育会系」とは別物です。笑

前職の先輩で、同じように大学まで体育会系(陸上部)の方がいたのですが、大学まで部活でガチでやっている方って、結構少ないじゃないですか??

なので、その先輩と共通認識があったのは、巷の、

「俺は昔は体育会系だったんだぜ!(高校や中学まで)」

を自慢げに話しているのを聞くと、

『寒気がする』のと『一緒にしないで』とよくいっていました。笑

多くの人が高校で部活を終えるパターンかと思いますが、私の場合は高校最後の試合で負けた時に、

『あ~まだ、こんなんでは終われないな・・・。』

と思ったのが大きかったです。

結局高校現役時代は全く勉強しておらず、偏差値も38の高校でしたので、受験は全敗。

一浪するなんて、考えもしませんでしたが、それでもバスケをやりたい思いは途絶えずチャレンジしました。

高校までは伸び伸びなんでも思うようにいっていたのに、ここで人生がストップしたような感覚は当時は、ショックでした。

しかし、この1年間で新しい多くの友人と出会い、希望する大学にも受かり、あの1年があったことで、人生が変わったと言っても過言ではありません。

経歴を書いてみた

各カテゴリーでの最高成績を思い出す限り書いてみました。

  • 小学校(ミニバス)・・・県大会ベスト16
  • 中学校・・・エリア大会ベスト16
  • 高校・・・県大会ベスト16
  • 大学・・・関東一部リーグ4位、インカレベスト16
  • ※社会人・・・全国クラブ選手権4位

ミニバス時代

ミニバスの記憶はあまりないですが、確か上記の成績だったと思います。

足も学校で一番早かったり、ジャンプ力があったりで当時はエリア選抜に入っていましたね。

ある意味、私のモテ期は小学校5~6年生辺りだったかもしれません。笑

昔↓↓↓の青系があったのですが、小6の時は生意気ながら履いていました。

 

中学時代

中学は、1個上の先輩はミニバス時代に県上位にいくようなチームでしたが、なんせ顧問が終わっていたため、県大会出場もできずでした。

私の代で最後の半年程度顧問が変わったことで、強くなりかけましたが、最後は県選抜選手率いるチームにあえなく敗退でした。

ただ、中学くらいからですね、毎日朝練習慣がついたのは。

これは結局、高校・大学でも継続していました。

高校時代

高校は、強豪校ではないものの、顧問が厳しさの塊。

昭和的な走るメニューが盛りだくさんで、毎日体育館が使える訳でもないので、外練は10~15km走ることもザラにありました。

週に1~2回程度休みはあるものの、毎日の練習が本当に恐怖でした。

バスケ部が数人同じクラスだったのですが、毎日午前中は皆元気なのですが、練習が徐々に近づく午後になると、皆会話は皆無に。笑

目がドンドンと死んでいき、最終的には誰も喋らずに部室へ行く。。。

みたいな感じの時期もありました。

練習がキツイ割には、強豪校の壁は破れず、県大会も上位狙えるチーム力はありましたが、結局ベスト16までが限界でした。

元々は、高校で引退かな・・・、とぼんやりは思っていましたが、最後の試合が終わった時の『やり切った感』が全くなく、『これで終わるのは無いな』と思い、大学バスケの道へ進みました。

 

大学バスケ

バスケに対する考え方から姿勢まで、0からバスケと向き合った4年間でした。

私の母校は、関東一部リーグに所属するチームです。

入学当時は二部に所属していましたが、チーム力としては一部と同格。

先輩や同期には毎年U-18日本代表選手が数人入部。

当時の月刊バスケットボール(通称月バス)に載っていた選手ばかりです。

同期は、まだしも先輩達はちょっとした芸能人を見る感覚でした。笑

こんなチームの中で、自分がどこまで出来るか、どこまでチャレンジし続けるかは未知でしたが、中高にTOPのカテゴリーを経験していない分、ある意味怖いもの知らずな感覚で最初は挑んでいました。

一部リーグに所属するチームの場合、部員数も総勢60人程度いるので、当時はAチーム(TOPチーム17~18人)、Bチーム(15~16人)、B2チーム(残り)と約3チームに分かれて練習を行なっていました。

入学当初は、B2チームでしたね、私は。

1年生は推薦入学者以外は全員B2だったかな、確か。

それでも同期は皆うまいやつらばかりだったので、先輩達食いをよくやってましたね。笑

1年生の時は、Aチームは雲の上の存在でしたが、2年生になるとチャレンジチームのような形で期間限定でAチームに入ったりと現実的な目標になってきました。

練習しまくってましたね、当時は。

もっと出来たな~、と思うことはありますが当時の自分の限界突破は果たせたかと思います。

色んな怪我もしましたが、最終的には3~4年生の2年間はAチームとして活動できたことは私の人生の中でも誇りに思っていることの一つです。

3年生の時は、スタメンPGが怪我をしたこともありリーグ戦にスタメンで出場した試合も何試合かありました。

当時は、『一般入学生の星』だったでしょうね!笑 

推薦組や日本代表組がいる中でも日々努力を重ねればここまで来れるということを証明できたのかな、とも思います。

悩み苦しんだ最後の1年間もありましたが、どれも最高の思い出です。

大学時代はKOBEシリーズを履きまくっていました。

 

部活・体育会系を通して得たことは

一番は『仲間の存在』ですね。

これが全てと言ってもよいくらいです。

同じ共通認識を持ち、高い目標に日々精進していく仲間が出来る。

それだけでもかけがえのない経験でした。

特に大学4年間はもう最後のガチ期間とわかっていたので、気のすむまでやりました。

あの4年間を戦った仲間たちは全国に散らばっていますが、今でも連絡を取る仲間です。

今度、同期の1人が顧問をする高校がウインターカップ出場となったので、12月末は東京体育館にいちゃもんを付けに行けたら!と思っています。

wintercup2022.japanbasketball.jp

一度死ぬ気で目標に向かっていった経験は、どんな場面でも役立つと思っています。

実際、社会人生活を10数年やっていますが、あれよりキツイことはないな、と思ってやっています。

ビジネスのきつさとは全く違うきつさではありますが、自分が達成したい目標に向かって死ぬ気でやり抜いた経験は、自分の力となり絶対に役立ちます。

それがたとえ失敗の経験だったとしてもです。

私の子ども達にも、出来れば部活やスポーツを通して人生経験してほしいな、って思っちゃいますね。

そこから得るものは代えがたい経験なので。

最後に

本日は、今週のお題シリーズ第6弾ということで部活生活について振り返らせていただきました。

なんか書きながら、またバスケやりたいなと思っちゃいました。笑

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それでは今回はここまでです!

更新頻度は減りますが、引き続きよろしくお願いします!